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三河地域の中心『岡崎市』

2018-09-12

岡崎市は徳川家康の生誕の地

岡崎市は豊田市と並び愛知県の旧三河国の中心地に構えている市です。
「岡崎城」は、戦国三英傑(織田信長、豊臣秀吉、徳川家康)の一人で「海道一の弓取り」の異名を持ち、のちに江戸幕府の初代征夷大将軍となった徳川家康公(松平元康)の、生誕の城としてとても有名です。
この家康は、祖父清康の死により「守山崩れ」になってしまった事などから、6歳の時には織田信長の父「織田信秀」下へ、次いで8歳の時には今川義元の下で人質としての幼少期を過ごしました。
その後、運命が大きく変わったのは、歴史的にも有名な「桶狭間の戦い」。
その際に今川義元が討死をし、それを機に今川氏から独立し岡崎城を拠点としました。
そして織田信長との同盟を結ぶことで三河国・駿河国へと版図拡大をしていきました。
家康は、この岡崎城を天下統一への足掛かりとして世に出てきました。
そう考えると岡崎城は、家康にとって「生誕の城」であると同時に「天下統一への出発点」とも言えるのではないでしょうか?
ここ岡崎城のある岡崎公園には、家康が生まれた証となる史跡、家康の産湯に使われたと言われる「東照公産湯の井戸」、へその緒を埋めた「東照公えな塚」等があります。
また戦国の世に終焉に導き、300年近く平和の世の中が続いたのは、ここにある「平和を願う家康公の遺言碑」に込められた、家康の想いが成就させたものかもしれません。


岡崎市が三河の中心である理由

まず位置的な関係から見ても、岡崎市は愛知県の中央部を縦断する形で位置している西三河地域にある事です。
一つの国を守る際に中央に本陣がある事が特に守りに関しては重要性を持っています。
東には東三河地域、西には尾張地域と東西の守りを固める事も可能です。
その為からか、政治の中心となる国府が置かれているのは東三河で、経済の主体は西三河が握っています。
また別の視点から考えてみると戦国時代を終焉に導き天下統一の偉業を達成し、江戸幕府を開いた家康の「生誕の地」に対する思い入れからも、重要な地と考えられたことも不思議ではありません。
軍事の要であった火薬製造に関しても三河のみに限定していたことなどからもわかります。
その様に「徳川家康生誕の地」という事から、東海道五十三次の宿場町として、岡崎宿、藤川宿が置かれるなど、別格の扱いを受けた事から更なる発展を遂げ、そういった意味でも中心的な役割を与えられることにもなりました。
因みに岡崎市には、県内3大河川の一つに挙げられている矢作川が中心に通っていて岡崎市の広さは愛知県内第3位の広さを誇っています。


軍事の要の火薬と観賞用の花火は三河地方が発祥の地

日本国内に初めて火薬が伝来したのは、種子島に漂着したポルトガル人が持ち込んできた鉄砲と言われてます。
そして現在その火薬は「夏の風物詩」の代表として、多くの人達に楽しまれている花火にも使われています。
その花火を日本人初で鑑賞をしたのが、家康と伝えられています。
その時に家康が見た花火は、打ち上げ花火のようなもので、それが伝わり諸大名の間で流行をして、その後町民にまで広がりました。
現在では夜空を華やかに彩る夏の風物詩として楽しませてくれています。
元々火薬は当時軍事に使われるものでありましたが、その火薬の製造を行っていたのは、徳川発祥の地である三河のみに許されていたものでした。
やがて戦国の時代も終焉を迎え、江戸幕府により太平の世の中が訪れた事により、火薬の役割は軍事的利用から観賞用としての花火へと変化をしていきました。
そして火薬の製造を任されていた岡崎を含む三河地域から、平和の時代の象徴として花火は始まったとの事です。


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